[ No1 心を考える ] | [ No2 頭について ] | [ No3 視力について ] |
[ No4 人の鼻とは ] | [ No5 耳について ] | [ No6 虫歯を考える ] |
[ No7 手について@ ] | [ No7 手についてA ] | [ No8 足について ] |
「オギャー」と、産声をあげたときの赤ちゃんは両手をにぎりしめ腕をふるわせています。その赤ちゃんに触れると、更に強く握りしめます。しかし生後2ヶ月もたつと、刺激がないのに握り続けることがなくなり、自分で握ったり広げたりするようになり、赤ちゃんの「にぎにぎ」のような運動は、赤ちゃんが握りたくて握っているわけではないのです。つまり自分の意志で握っているわけではなく、無意識的運動である。それに対して自分の意志で行う行為を意識的運動と呼びます。赤ちゃんの「にぎにぎ」は生まれ付き握るしくみがあるからおきるもので、手の皮膚に刺激が与えられたときに手を握る反射の仕組が強調されて出現したものです。赤ちゃんの身体は成長して行くにつれて神経系も発達していき、生まれ付きそなわっている反射メカニズムの上に、意識的運動のメカニズムが発達していき、やがて幼児は必要なときに、手を握る意識的運動をする事を覚えていきます。 意識的運動で手を使うようになった人間は、自分の生活をより向上させるために道具を作り、道具を使う手であり、あるいは手で合図をしたり、手で言葉を語ったりする訳で、この点が他の動物とは違った所でしょう。 |
人の手の運動の基本はものを「つかむ」ことと「つまむ」ことです。乳児は乳を飲みながら、母親の乳房を、手でつかんだり、髪の毛を引っ張ったり、耳たぶをもて遊んだり、手に触れる物をさわったりつかんだりします。 いますこし大きくなりますと「つかむ」は5本の指を曲げてものを握り持つこと、「つかむ」動作は比較的大きい物を要求しています。又「つまむ」は(鼻をつまむ)のように数本の指の爪先で物をはさみ持つこと、「つまむ」動作のためには、豆、米つぶなど小さなものが必要です。又、手首を回す動作もあります。手首を回すことにより、手首の回転がスムーズに鳴り、又、手首をかえす動作もあります。このように手の運動には、手の屈曲、回転、伸展と5本の指の屈曲、伸展、内転、外転、対抗、などからなっておりどんな複雑な手の運動でもこの組み合わせで手の運動を助けています。手で物をつかめるのは、どんな動物がいるでしょうか。手に5本の指を備えているのは霊長類だけであり、このように指の発達とつかむことには密接な関係があります。 |
利き手が右か左かを決めるためには、箸、鉛筆を使ってもらえばすぐにわかります。まれに右でも左でも箸や鉛筆を使える人がいますがどちらも同じ様に器用に使えることはないのです。両手を使える人が両手利きと言われていますが、利き手は必ずどちらかに決められています。左利きは少数ですが最近は左利きが増えている状況にあるのは事実です。 乳児は右も左も関係なく箸なり、スプーンを使っても右も左もまだ定まっていませんが、幼児になるとだんだんに右利き左利きと定まってきます。利き手の矯正は年をおうごとに困難になりますので、乳児からの箸なり、スプーンの持ち方を気を付けてあげるのが肝心ではないでしょうか。また無理に矯正すると子供によっては弊害がでてきます。 では利き手とそうでない手の運動の違いは何でしょうか。器用さが違っているのです。この違いは量的な違いで質的な違いではありません。手の作業は連続で行う多くの運動で決まるもので利き手以外の手でも訓練をすれば利き手より起用になれます。 では利き手はいつごろから始まっているのでしょうか。赤ちゃんの運動を注意深く見ると生後1週ですでに反射機能に左右の差のあることがわかります。赤ちゃんの唇の端に手を触れると、赤ちゃんは触れられた側に首を向けます。右の方に触れたときの方が起こりやすい、また舌の先に刺激剤を与えると左端に与えるよりも右端に与えた方が首が回りやすいです。多くの赤ちゃんは、右の方へ首を向けている時間が圧倒的に長いようです。 右脳と左脳の分業があり、その結果、手の使い方に左右差のあることから、手を使うときには、右と左の特徴を使い分ける方がよいのです。利き手は言語を媒介する機能、ことばで考えたことを実現する機能、単純につかむ、つまむ、にぎる事から、書くことまでの機能で、非(利き手は)手探り、空間認知、さらにそれを手がかりとして実現する機能に使われるべきであり、我々の脳は左右に特殊化が行われているのでそれに都合のよいように手を使わなければなりません。 |
人間と特性は働くことです。それは自分の周辺にある環境に対して積極的に働きかけることによって器用にもなれるのではないでしょうか。器用、不器用は個人的問題のように思えますが、物を媒体として、社会固有の使用法があり、各個人は、訓練という形で、その使用法を、体得していくものです。しかし、今日ではそういう訓練をなおざりにされているようです。最近子供たちがナイフをよく使えない、ぞうきんがよくしぼれない、箸がうまく持てない、といろいろ言われますが、ナイフは危ないから大人が持たせないという大人の勝手で与えないのではないでしょうか。ナイフを持ったからといって即危険と考えるより、危険なものを使うことによりはものの持つ危険性が実感として、子供たちによく理解されるのではないでしょうか。ナイフで鉛筆を削ることは、指先の訓練にとてもよいのです。そこには微妙に指の使い方、力のいれ方、鉛筆を削るための集中性など子供にとっては大変必要な訓練にふさわしいものです。
人間としての基本的手の訓練を、常に心がけていることが、大切なのです。日本には、古くから伝わる伝統技術があります。これを支え、実践するのは手です。私たちの身近なものを一つ例にとってみても、ひもを結ぶことは物体と物体を結合させることであり新しい道具を作り出す基本的作業なのです。これは、指の訓練であると同時に、頭の訓練でもあります。手は常に試練に耐えるべきものであり、決してかばいすぎてはいけません。手の持つ能力を見極め、手の持つ本来の様々な役割を発揮させることがとても大切です。そして私たちの生活を支え、大きな位置を占める手を信頼していくことを忘れてはならないでしょう。 人間は生まれながらにして、手を使えるような身体になっています。私たちはその手を充分に活用しなければ、恥ずかしい思いもします。前の文でもお話しておりますが、赤ちゃんの時ハイハイをさせることにより身体全体を動かし、手は手の役割、足は足の役割を具わっておりハイハイも赤ちゃんの成長の上では必要なことなのです。ハイハイの時期にハイハイをしない子供は同年令の子供に比べ見劣りが見受けられます。 1才の前後になりますと、歩行が始まりますが、ハイハイの練習が歩行の為の前段階になるのです。 手の訓練は手の動きと、感覚の訓練により、脳を刺激し子供の手の成長を助けるのです。 では自分の家庭でも皆さんのお子さんの手でどんな訓練が出来るのでしょうか。 |
●
クレヨンマジックを使って描く ● 体操みたいに腕を回す(リズム体操等)。 ● 意識して物を持ち運びする。 ● (重いもの、軽いもの、壊れやすいもの、こぼれるもの) ● 日常生活の中で ● 手を上手に洗う ● ハミガキ、タオル・雑巾等を絞る、ほうきを使う。 ● 洋服の着脱(ボタン・スナップがけ) ● 洗濯物などをたたむ(大人と一緒に) ● 布団をたたむ(子供用のもの) ● 手を使って遊ぶ、玩具(おはじき、お手玉、こま) |
●
感覚(皮膚)・紙やすり、下敷き、木の板、タイル、布、など家庭にあるもので実際に子供に指の先で触れさせてください。
● 橋を使う、鉛筆、クレヨン、サインペン等使って書く。 ● ハサミを使う。 ● 折り紙(正方形、長方形、円形) ● ひもを結ぶ・通す、あやとり(伝承遊び) ● 物をつまむ(豆、木の実) ● 考えながら手を使う(おはじき、ジグソーパズル) 身近な材料、廃品もその材質、形を考えて活用するとよいでしょう。 |