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[ あ | か | さ | た | な | は | ま | や | ら・わ | 人物 ] |
「 オーエン(1771〜1858) 」 | ||
イギリスの社会主義運動の開拓者。紡績工場を経営していたが、1816年、その労働者の子弟の福祉と教育のために「性格形成新学院」と、その一部として「幼児学校」を開設。生育や環境が悪いと正しい性格を欠くことになるので、経済的、社会的および教育的な環境を改善することを要するとした。 | ||
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「 倉橋惣三(1882〜1956) 」 | ||
幼児が自ら生活できるようにする、子ども中心の保育を唱えた。その具体例として「誘導保育論」「誘導カリキュラム論」を体系化している。これらは、幼児の生活はあそびにあるとし、その生活が発展するように誘導することを主眼にしたものである。 | ||
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「 クループスカヤ(1869〜1939)」 | ||
ロシアの教育家。社会主義社会の建設過程で、実践を通して理論が深められ、確立された「集団主義保育」を提唱。また、その内容で具体的なあり方(大人が干渉しないあそび、理想的ながん具と児童図書、芸術教育のあり方、体罰の否定)を示した。 | ||
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「 フレーベル(1782〜1852)」 | ||
ドイツの教育思想家、教育実践家。また幼稚園と保母養成所の創始者でもある。1839年に「遊戯および作業教育所」を開設。翌年、「一般ドイツ幼稚園」と改めた。幼稚園を庭に、幼児を若い植物、植物の世話をする園丁(庭師)を教師や母に例えた。 | ||
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「 ペスタロッチ(1746〜1827)」 | ||
スイスの世界的教育思想家。神があらゆる子どもに等しく与えた諸能力を、子ども本来のしぜんな歩みにしたがって発達させることを目ざした。そして、どの社会階層の子どもにも、このしぜんな発達を可能にし、社会変革の主体として育成するために、子どもの感覚や生活環境の中での直接経験(直観教育)を重んじた。 | ||
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「 モンテッソーリ 」 | ||
イタリア初の女性医学博士。1906年スラム改良事業で「子どもの家」を創設。精神発達のうえから幼児期を重視し、子ども本来の自発的生命力と敏感な吸収力を生かした。心身のしぜんで、正常な発達による自立に向けての自由を与えようとした。 | ||
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